『世界一のロングサーブ』
スポンジを使い、世界一速いロングサーブを得意とした荻村
伊智朗選手の場合、大学時代に一人で毎日1~2時間サーブ
練習をやっていました。
速いだけでなく、狙いを正確にするために、万年筆などの標
的を立てて、それに当てていました。
また、チョークで相手コートにマークをつけ、そこへ入れる
練習もしました。
ついには、目をつぶってでも出せる水準までやり込んだとい
います。
『世界一のロングサーブ』
スポンジを使い、世界一速いロングサーブを得意とした荻村
伊智朗選手の場合、大学時代に一人で毎日1~2時間サーブ
練習をやっていました。
速いだけでなく、狙いを正確にするために、万年筆などの標
的を立てて、それに当てていました。
また、チョークで相手コートにマークをつけ、そこへ入れる
練習もしました。
ついには、目をつぶってでも出せる水準までやり込んだとい
います。
(田中利明選手)
当時のルールでは、サーブに関して、厳しい規制は何もありません
でした。
左手(右利き)にボールを握ったままサーブを出してもよい。
その際に、指でボールに回転をかけても構わない。
そういうルールでした。
決勝は、北朝鮮と対戦することになりました。
1試合目のときは、コートの上に霞がポッカリとかかっているよう
に見えました。
実際にはありませんが。
それぐらい緊張していました。
高校3年の1月に名古屋で世界選手権大会(65年リュブリアナ)の
合宿があり、練習相手として荻村さんが私を呼んでくれました。
その前の年の12月まで調子が悪くて落ち込んでいたのですが、練習
相手に呼ばれるということがわかり、体力トレーニングを始めました。
それで合宿に行ったところ、荻村さんが、ヨハンソン(スウェーデン)
とゲームをやれ、野平とゲームをやれ、小中とやれ、と言うのです。
2011年の記事になりますので、現在の日本卓球界の
イメージとは、だいぶ異なっています。
1980年代から世界で勝てなくなり、当時の話になります。
現在は、男女ともに活躍しています。
世界選手権の決勝戦というのは、もう絶対に勝つんだという気持ち
です。
絶対に勝つには、ミスをしない態勢から積極的に打っていくという
ことを特に気をつけました。