『続々 温故知新1』藤井基男さん

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(田中利明選手)

当時のルールでは、サーブに関して、厳しい規制は何もありません
でした。

左手(右利き)にボールを握ったままサーブを出してもよい。

その際に、指でボールに回転をかけても構わない。

そういうルールでした。


(荻村伊智朗選手)

つまり、シッフらが使ったサーブは、ルール違反というものではあり
ませんでした。
しかし、世界中のどの国の選手たちもやらなかったときにこのフィン
ガースピンを使ったものですから、ものすごい効果をあげました。

そして、それはまた衝撃的な”事件”となりました。
 
あんなサーブは禁止すべきだ。

指で、いつどういう回転をかけたのか。

それが、対戦相手にも審判員にも見えない。

そういうサーブはフェアじゃない。

あれが今後も認められるなら、わが国は次の世界選手権に卓球選手
ではなく手品師を代表選手として送る。

などの避難の声があがりました。

そして、フィンガースピンは禁止されました。

61年後の現在(1998年)では、ご承知のように、手のひらを開
き、ボールに回転を与えることなく上空へ16㎝以上投げ上げ、落下
してくるところを打球することになっています。

その間に、特に1950年代以降というものは、すごいサーブが出現
すると、それを禁ずるルール改正。

やがて新ルールのもとで強力なニューサーブが出現してレシーブミス
が続出。

またまた、ルール改正・・・・・というようなことが、くり返しおこって
います。

スポンジ、ソフトラバーなど「すごい威力サーブ」を出しやすい用具
が盛んに使われるようになった1950年代以降に、目まぐるしくサ
ーブに関するルール改正が行われ、現在に至っています。
        
1950年代に、
サーブは攻撃の第一球
威力抜群のサーブは勝利の秘けつ

であることを世界中に広く知らしめ、大成功をおさめた二人の男子
選手がいます。

日本の荻村伊智朗、田中利明の両選手です。

ともに、他人の2倍3倍とサーブ練習を行い、抜群のサーブ力と三
球目スマッシュで、シングルスに3回決勝へ進み、2回ずつ世界チ
ャンピオンになっています。

団体戦でも、荻村選手は5連勝、田中選手は3連勝という輝かしい
成績を残しました。

荻村選手初優勝の1954年ロンドン大会における男子シングルス
決勝は、それまでの世界選手権の歴史のなかで、最もラリーの短い
決勝戦だっと言われています。

田中選手初優勝の1955年ユトレヒト大会では、田中対ドリナー
(ユーゴ)の決勝を地元オランダのテレビ局が放映することになっ
ていましたが、テレビ中継のはじまる前に終わってしまったという
エピソードがあります。

いかに両者のサーブが威力抜群であり、それを生かした三球目
攻撃が強力であったかがわかります。

つづく

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