『運とはなにか?』

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『運』とは何か?
こんにちは。
鋼のマインドコンサルタントの片野賢二です。

今日は、
20年ほど前に卓球月間詩に掲載したものになりますが、
『運』とは何か?
ということについて、紹介させていただきます。

成功した人や、卓球大会等で活躍した人に話を聞くと、
「努力もしましたが、やっぱり運が良かったからです」
と答えることが多い。

では、運とは何なんでしょうか。

私たちは、生まれついてから、
天運、地運、人運の三つに影響されて
生きていると言われています。

天運とは、素質のことです。

地運とは、環境や条件。

人運とは、人との出会い運になります。

しかし、何もしないで地運や人運が手に入るということは
ありません。

そこには、自助努力が必要になります。
それによって、運が開けます。

それでも開かなければ、自分の行動、発想を再チェック、
あるいは反省が必要になるでしょう。

昔、福沢諭吉が蘭学を死にもの狂いで学び、
江戸に出て、ある日、足を延ばして横浜へ行きました。

ところが、オランダ語がまったく通じません。

みんな英語なのです。

あれだけ学んだオランダ語が役に立たないと
気落ちして帰ったと、
「福翁自伝」に書いてありますが、
多くの仲間は、そこで英語を
学ぶことを諦めました。

しかし、彼は死にもの狂いでもう一度勉強することになります。

ここが分かれ目になります。

やってみると、同じヨーロッパの言葉。
似ている部分が多く、意外と時間がかかりませんでした。

運、不運というのは、天が与えるものではなく、
自らが作り上げるものです。

幸運は何もしないで寝て待て、
という意味で使われることわざに、
「果報は寝て待て」という言葉があります。

しかし、もともとの意味は、「果報」というのは、
「因果応報」を短くしたもので、原因があって、結果がある、
という意味です。 

何か失敗したとき、よく考えてみると、
例えば不摂生でカゼを引いたとか、
練習しなかったとか、不注意であったとかという原因で、
試合に負けたとか、成績が悪かったりとか、
ケガをしたりということが起こります。

こういうことを因果応報といいます。

摂生すればカゼは引かないし、
練習をしていればよい成績が取れる
ことは知っての通りです。

運よくよい成績ががとれたときでも、
実はまぐれの幸運に出会って
いるわけではありません。

しっかり練習やトレーニングを積んでいるし、
一見遊んでいるようでも、
そういう選手には幸運はついてくるものです。

何もしないで幸運がついてくるということは
めったにありません。

そうすると、なぜ、「寝て待て」というのでしょうか。

だれでもなんとかして幸運を得たいと思っています。

そのために、早くと思ってあせったり、
見苦しい振る舞いを、ついついしてしまいます。

それを戒めるために、「寝て待て」といいます。

やるだけのことをやったら、
あとは自然の結果を静かに待ちます。

努力のうえに努力を重ねたあとは、
見苦しい振る舞いをせず、
よい報いを待てというのが
このことわざの本当の意味になります。

同じような意味で、
「人事を尽くして天命を待つ」という
ことわざがありますね。
                             
※(ことわざに学ぶ生き方/あすなろ書房/稲垣智美・著)を参照
にさせていただきました。

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