2011年11月12日の記事より
2年前に定年退職しましたが、40年間ニッタク
ニュースという卓球月刊誌を編集していました。
1988年から荻村伊智朗さん(国際卓球連盟会
長・当時)は、ニッタクニュースに3年間連載し
てくれました。
題名は、スタンディング・オベーションになりま
す。
すばらしいプレーをした選手に対し、観衆が総立
ちになって拍手を送り、選手を称える感動のシー
ンをさします。
1987年にインドのニューデリーで開催された
世界卓球選手権大会の総会で、荻村さんは国際卓
球連盟の会長に就任されました。
選挙前は、やや不利な予想でしたが、結果的に圧
倒的は得票数を獲得しました。
荻村さんは、ミスター・テーブルテニス、と言わ
れ、当時、IOCの役員をしていました。
サマランチ会長(当時・IOC会長)の信頼も厚
く、1988年のソウルオリンピックの時は、何
度も卓球会場に足を運び、荻村さんと観戦してい
る姿を覚えています。
その後、長野で冬季オリンピック大会が開催され
ましたが、荻村さんとサマランチ会長は、長野を
視察しています。
また、松本市でサマランチカップという国際大会
も開催しています。
話は戻りますが、87年以降は、年間の半分以上
は世界を駆け巡り、卓球の普及活動をつづけてい
ましたから、一番忙しいときに執筆をお願いして
いました。
毎月、ファックスで原稿が届きますが、ほとんど
がヨーロッパや中国から。
当然締切は過ぎています。
そして、ここで一番困ったことは、文字が判読で
きないことでした。
前後の文章から考えるのですが、荻村さんの表現
力は天才的です。
まったく違う次元の言葉がでてきます。
長男の一晃さんにファックスを送り、確認をしな
がら、入稿するという作業を毎月つづけました。
荻村さんは一番忙しかったにもかかわらず、3年
間一度も穴を空けませんでした。すごいことだと
思います。
そのことに対し、大いに感謝いたします。
一度、東京・湯島の天麩羅屋さんで、何回分かテ
ープに取らせていただき、原稿にしたほうがよい
のではないですか、とお願いしたことがありまし
た。
荻村さんは、大丈夫です、毎月送ります。
1991年千葉大会のときに、世界のプレーヤー
「スタンディング・オベーション」という単行本
を発売しました。
あっという間に完売になり、今は、ニッタクにも
1冊あるかないかだと思います。
私は、荻村さんのサイン入りを1冊だけ持ってい
ます。
荻村さんが亡くなったのは1994年の12月で
した。
当時、ニッタクニュースの編集部は、上野池之端
にありました。
7時半頃、電話がかかってきて、受話器を取ると、
荻村さんでした。
入院先の病院からでした。
日本の若手選手に頑張ってもらいたいので、「世
界に羽ばたけ」という題名で連載をお願いしたの
ですが、という内容でした。
二つ返事で、宜しくお願いします、と応えました。
すぐに二人の選手の原稿が届きました。
一人は、当時、早稲田大学に在籍していた大野知
子選手でした。
もう一人は、ある大学の男子選手でした。
世界に羽ばたけ、という題名で大野知子選手を紹介
しました。
しかし、残念ながら荻村さんはそこで亡くなられて
しまいました。
2回目の原稿は、その選手が活躍したら、掲載しよ
うと思っていましたが、その機会は二度とありませ
んでした。
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