2011年11月22日の記事より
1997年の世界卓球選手権マンチェスター大会は、4月
24日~5月5日までイングランドで開催されました。
丁度、この時に、多分サッカーのUEFAチャンピオンズ
リーグの決勝がマンチェスターで開催され、地元のマンU
とドイツが決勝を戦ったと思います。
予めに何日の夜は外に出ないでください、というアナウン
スがありました。
ドイツのフーリガンがたくさん来ているので危険です、と
いうことでした。
日本では、あまり馴染みはありませんが、本当に危険だそ
うです。
どちらが勝ったのか、覚えていませんが、案の定、ゲーム
が終わってから大きな声で騒いでいました。
という思い出があります。
話は戻りますが、世界卓球選手権大会の取材は、1979
年ピョンヤン大会(北朝鮮)から数え、今回で10回目に
なりました。
その間、日本選手が最後の土壇場で「伝統の力」というか、
「底力」とういか、そういう目に見えないもので乗り切っ
た試合がいくつかありました。
少し前になりますが、1989年ドルトムント大会(ドイ
ツ)のユーゴ戦もそうでした。その前にチェコに2―5で
敗れ、ユーゴ戦は1-4の劣勢でした。
もし敗れれば9~16位決定戦になります。1点づつ返し、
最後5―4と逆転したときは、夜の12時を過ぎていました。
そして、終了と同時に「マジックボール」という素晴らし
いメロディーの大会テーマソングが会場にながれ、更に感
動しました。
1993年イエテボリ大会(スウェーデン)は、第3戦の
ベルギー戦で神がかり的なプレーで勢いに乗り、決勝トー
ナメントに進みました。
1995年の天津大会(中国)では、フランス戦で120
%の力を発揮し、同じく決勝トーナナメントに出ています。
そして、今大会も格上のフランスに対し、渋谷浩選手が粘
りに粘り、また積極的に攻撃をしかけ、見事に下しました。
更に予選の最終戦でチェコの選手に1-2の劣勢から、し
かも完全に負けゲームであったにもかかわらず、松下浩二
選手が耐えに耐え、逆転することができました。
まだまだありますが、これらの試合を見るかぎり、日本に
はまだまだ伝統の力があるというか、先輩たちが残してく
れたものを、立派に受け継いでいるという印象を強く持ち
ました。
嬉しいです。
最近は、3位以内に入ることが当たり前になっていますが、
当時はベスト8に入ることが難しい時代で、よく耐えに耐
えて、頑張っていました。
そういう頑張りがあったから、現在の張本選手や水谷選手
たちが存在しているということがいえると思います。
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