『鳥が選んだ枝、枝が待っていた鳥』

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『鳥が選んだ枝、枝が待っていた鳥』
こんにちは。
鋼のマインドコンサルタントの片野賢二です。

本日は、
18年前に掲載した
『鳥が選んだ枝、枝が待っていた鳥』
というテーマでお話させていただきます。

千葉のkさん(会社員)が、「致知」12月号を
送っていただきました。

特集は、「鳥が選んだ枝、枝が待っていた鳥」と
いうものでした。

その中に、昭和40年代の前半、卓球実業団の主力選手と
して活躍していたある女性が掲載してありました。
(当時は実名で掲載しました)

4歳のときに父を亡くし、母が兄妹3人を育てました。

母は、父がいなくとも、後ろ指を指されないように
プライドを持ちなさい、

人さまに喜んでいただける人間になりなさい、と
いうのが口癖で、

また、よその人たちの前で子供さんたちのことを
よく褒めていたそうです。
               
母の信頼を裏切ってはいけない、という気持ちが芽生え、
これが人を裏切ってはいけない、という教えになりました
、と言っています。

松江商業高校を卒業後、東京の会社に入社しました。

実業団で活躍したあと、結婚されました。

辞表を提出しましたが、上司のはからいでご主人が勤務する
大阪に転勤することになりました。

広報を振り出しに秘書、営業をこなし、
現在(当時)は関西支社の総務課長に就任しました。

社員1万人という大企業の中で、
関西支社では唯一の女性管理職になりました。

学歴と女性というハンディを克服できたのは、
母の存在、そして卓球のおかげと言っています。

卓球は恋人で、人生のお師匠さん、とも。

大事なことは、球を見ること。

球はいろいろな角度で360度回転して動きますが、
そういう球が正しく見えるような人間になりたい、
それが卓球から得た結論だと言います。

「今回の特集のように、鳥に選ばれる枝になりたい、
枝が待っていてくれるような鳥になりたい。

そのためには、使命感が軸にならなくてはいけないと思います。

そのときに私という人間の存在がでてくるのではないでしょうか」

「鳥が選んだ枝、・・・・・・」は、
陶芸家の河井寛次郎さんの言葉です。

この縁でしばらくは、{致知}を読んでいました。

その後、グアムで卓球をしている濱本さんと知り合い、
グアムで10年間、国際ラージボール大会を開催しました。

その時に、濱本さんが「致知」に取り上げていただき、
しばらく読んでいました。

その後、休んでいましたが、
2年ほど前から読み出し、現在に至っています。

しかし、最近は送っていただきますが、
目を通すことがなくなってしまいました。
                              
心の勉強をしたい方には、お勧めの雑誌になります。

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