『新 温故知新 5』長谷川信彦さんから藤井基男さんへバトンタッチ

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決勝は、北朝鮮と対戦することになりました。

1試合目のときは、コートの上に霞がポッカリとかかっているよう
に見えました。

実際にはありませんが。

それぐらい緊張していました。

でも、2試合目のときは、もう埃まできれいに見えるような感じで
した。

落ち着きを取り戻しました。

7番で朴選手に勝って、8番で鍵本さんと金選手が対戦。

金選手は、それまで日本から2点取っていて、絶好調でした。

1988年の長野オリンピックのジャンプではないですが、
原田選手が2本目を飛んだあと、「船木、船木」と叫んでいましたが、
私もあの心境で、「鍵本さん、鍵本さん、鍵本さん」頑張ってという
感じでした。

そしたら、鍵本さんが見事な卓球で、金選手のドライブ攻撃を得意
のショートでブロック、ストップレシーブからのドライブ攻撃、チャ
ンスボールは確実にスマッシュを決めるなど、うまく料理して、勝っ
てくれました。

もし負けていたら、日本に帰らないつもりでいましたから、本当に
このときは疲れました。

でも、このときの優勝が今までも卓球人生のなかで、一番嬉しかっ
た。

シングルスの決勝は、河野満選手だったのですが、このときもプレ
ッシャーがかかりました。

それまで日本では全勝していましたが、もし、ここで負けたら今ま
での勝ちが水の泡になってしまいます。
                  
逆に河野選手は、汚名挽回ですから、必死なわけです。

最終ゲームまでもつれ込みましたが、最後まで粘り、勝つことが
できました。

終わったあと、気がついたら膝から血が出ていたり、肘から血が
出ていたり、あの試合は忘れられません。

※長谷川信彦さん

昭和40年、41年、44年~46年、48年全日本選手権大会
男子シングルス優勝。

1967年世界選手権大会男子団体、男子シングルス、混合ダブル
ス優勝。
1969年世界選手権大会男子団体、混合ダブルス優勝。

次は、藤井基男さんに協力していただいた「温故知新」を
ご紹介させていただきます。

藤井さんは、昭和26年度全日本選手権大会男子シングルス3位、
1956年世界選手権東京大会混合ダブルス3位。

日本卓球協会の専務理事や日本卓球リーグの事務局長、そのほか、
世界選手権千葉大会、大阪大会の事務局長を務めるなど、卓球界
に大きく貢献された方です。

ニッタクニュースには、長年にわたり、執筆していただき、元気
が湧く43の話として単行本を発行。
そのほか著書多数。

残念ながら2009年世界選手権横浜大会前に亡くなられました。

                  
『威力抜群のサーブは勝利の秘訣』

このことを示す世界最初の”事件”がおきたのは、1937年(昭和
12)。「日本卓球会」が「日本卓球協会」に名称を変え、学生が硬
式に踏み切った年です。

主役を演じたのは、アメリカの男子チーム。シッフ、マクリュアら。
オーストリアのバーデンで行われた第11回世界選手権大会でのこと
です。

アメリカが男子団体で世界一になったのは、後にも先にもこの1回
限りです。

なぜ、バーデン大会で優勝できたのでしょうか?

強力なサービス・フィンガースピン・サービスという名の新兵器が
あったからです。

”ミスター卓球”といわれたバルナ(ハンガリー)ですら、うまく
レシーブができなくて、シッフに敗れたというほど威力抜群のサー
ビスでした。

つづく

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