高校3年の1月に名古屋で世界選手権大会(65年リュブリアナ)の
合宿があり、練習相手として荻村さんが私を呼んでくれました。
その前の年の12月まで調子が悪くて落ち込んでいたのですが、練習
相手に呼ばれるということがわかり、体力トレーニングを始めました。
それで合宿に行ったところ、荻村さんが、ヨハンソン(スウェーデン)
とゲームをやれ、野平とゲームをやれ、小中とやれ、と言うのです。
※ヨハンソンは、昨年残念ながら亡くなってしまいました。
(ブログで紹介していますので、ご覧になってください)
※野平さんは、昭和39年に全日本学生に優勝し、代表に選ばれまし
た。
※小中さんは、昭和38年の全日本チャンピオンです。
みんなに勝って、たった1ヵ月しかたっていないのに、勝てたという
ことは精神面によっていかに卓球が変わるかということです。
精神面が大きく変わり、真摯な態度で、練習できるようになったこと
で、ボールもよく見えたし、相手の心も分かるようになって、粘りも
出て、いろんなことが精神面にプラスになったからだと思います。
木村さんにはいくらやっても勝てなかったのですが、すごい自信がつ
きました。
最終合宿にも呼ばれ、そのときの日本代表選手はものすごく集中して
いましたから全員に負けたのですが、そのときに運よく将棋の木村名
人の話を聞く機会がありました。
私は真剣に聞いて、木村名人が帰ったあとに、荻村さんが今日の講演
を一番よく聞いていたのは長谷川信彦だと言ってくれました。
びっくりしました。
そのときの木村名人の話が、将棋というのは、普段の練習とか、普段
の生活が、全部将棋に出るんだという話をされて、納得しました。
それからは、今まで以上に普段の練習、私生活を気をつけるようにし
ました。
話は飛びますが、
1967年世界選手権ストックホルム大会の強敵は、ソ連だったの
ですが、大会前にモスクワで真剣勝負をしたら、1-5でやられま
した。
本番の準決勝で当たったのですが、日本が1ー3とリードされ、す
ごいプレッシャーの中、2点返して3-3とし、7番でゴモスコフ
選手との対戦しました。
1ゲーム目は、ゴモスコフ選手が取って、2ゲーム目は返し、3ゲ
ーム目は全身全霊で戦ったのですが、ドライブを止められて、14
-19と絶体絶命のピンチになりました。
同じ負けるのなら、自分の卓球をして負けようと決心し、ゴモスコフ
選手はバックハンドが非常に強い選手で、フォア側が少しミスしてく
れるので、どうしてもフォアにいけないときだけバックを攻めるとい
う作戦をとり、16-19にしました。
ゴモスコフ選手の顔を見たら、青くなっていて、チャンスだと思い、
粘りに粘って、3本返し、19オールにしました。
そしたら、真っ青なんです。
向こうにミスがでて、21-19で逆転勝ちをしました。
絶対に勝つという信念を持っていたので、逆転できたと思うのです
が、勝っても負けてもどっちでもいいや、なんて思っていたら勝て
なかったと思います。
モスクワで2回ともコテンパンにやられていましたし、本当に天才
的な選手でした。
決勝は、北朝鮮との対戦となりました。
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