続 温故知新   1

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2011年12月17日の記事より

2人目は、両澤正子さん(旧姓・関)に協力していただきました。

両澤さんは、昭和36年、38年全日本選手権大会女子シングルス
優勝。1963年世界卓球選手権大会女子ダブルス優勝、65年世
界選手権大会混合ダブルスに優勝しています。

「卓球は相手があって、自分がある」

狭い卓球場から生まれた「頂点卓球」

私は、素人の大人の中に交じって、卓球を始めたことで、技術より
も相手の動作や回転に騙されないことを試合の中で教わりました。

練習という感覚ではなく、勝ち抜き戦の遊びの中で卓球を楽しんで
いたということです。

勝たないと順番が回ってこないので、勝つためにどうしたらよいか、
上手な人の真似をしては試合で使っていました。

試合に入るとき、最初は相手選手のフォームの観察、次に構える位
置やラケットの角度から相手選手の卓球を想像します。

相手選手がボールを拾ってコートに戻り、構えるまで目線を離しま
せんでした。

「卓球は相手があって、自分がある」

フォームやスイングも相手が何をするかによって変わってきます。

例えば、小さい、中くらい、大きい、手首、ひじ、肩など。

一流選手は、たくさんのフォームとスイングを持っています。

私の年代の少し前は、前陣速攻という言葉はなく、中陣が主流でル
ープドライブの時代でした。

卓球場という狭い場所と勝ち抜き戦の中で、「頂点卓球」という前
陣速攻が生まれました。

それは、打って打って攻撃していく中で手が出て、足が出て、自然
に生まれました。

本格的にフットワークを教えてもらったのは、高校1年の後半です。

初めてフットワークの練習をしたとき、15分で気持ちが悪くなり、
冷や汗が出て、ダウンしてしまいました。

そんな基礎を知らない女の子がこの年のインターハイで10位に入
ったのです。
             
 仕掛ける勇気と破滅そこから学んだこと

卓球年齢の中で、若いときしかできないことがあります。

私が壁にぶつかったのは、カット打ちと、松崎キミ代さん、伊藤和子
さんでした。

それまで、頂点卓球に徹していたのが、カット戦では通じません。

練習するカット選手がいなかったことで、ツッツキから打つことばか
りやっていました。

松崎さん、伊藤さんとの対戦の中でラリーが10回以上続くことがた
びたびでした。

自分から仕掛ける勇気と、仕掛けることによって破滅させられること
を学びました。

しかし、その中で良かったことは、無理して仕掛けることで、自分よ
り上の選手に勝つことができたことです。

それが若さだということを学びました。

 年齢と身長に合わせてフォームを変える

現在は、卓球を始める年齢が幼稚園や小学生と下がっています。

中学時代に体ができて、背が高くなり、ネットと自分との高さも違っ
てきます。

小学生時代のフォームが変わらなくてはいけないのに改造せず、大学
生になっても中学生の卓球をやっている人がたくさんいます。

それでは、世界に近づけません。

最初に覚えたフォームとか技術は本能で覚えますが、節目の年代でし
っかり矯正して将来に向かわないと、小さな卓球になってしまいます。

昔と今は違うといいますが、構え方にしても松崎さんは卓球台に対し
てスキのない仁王様のように大きく、またフォアハンド、バックハン
ドは対等に攻撃できる技を持っていました。

それだけ影でたくさん努力をしたということだ思います。

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