【あの夜の若い二人】

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こんにちは。

「あなたの心に火をつける」
コーチ&コンサルの片野です。

先週、岩手県に行ってきた。

という記事を投稿した。

花巻市の隣にある石鳥谷町という
ところで、子どもたち100名と
指導者12名の方にメンタル

コーチングをしてきた。

新幹線に乗る前の電車で、
友人が投稿したamebloの記事に
感動して泣いてしまった。

という記事も投稿した。

良かったら、
こちらがURLになります。

この記事を書いたら、
8年前を思い出した。

2011年3月11日に東日本大震災が
あり、年が明けた2012年春。

大宮から福島に行く機会があり、

ラージボール卓球の指導講習だったと
思う。

大宮から乗車し、椅子の前に
置いてある、「トランヴェール」
を手に取る。

新幹線に乗ると、必ず手にし、
巻頭エッセイに目を通す。

当時は、作家の角田光代さんで、
それ以前は、伊集院静さんだった。

先週、乗車した時は、沢木幸太郎さん
だった。

角田さんのエッセイを読み始め、
恥ずかしいが、
宇都宮まで泣きぱっなしだった。

2、3度読み返したと思う。

改めて
記事をシェアさせていただきます。

「あの夜の若い二人」

昨年の震災後、新聞記者に被災地の
取材を打診された。

私はルポライターではないし、
取材といったって見学しかできない
ように思い、最初は断った。

けれどだんだん、「見る」ことから
逃げたような気がして、いかせて
くださいと記者に伝えた。

四月の半ば、私は記者とともに盛岡に
向かった。
滞在中、朝にホテルを出発し、海岸沿いの
町を日暮れまで歩いた。

私と記者は日中ほとんど会話をしなかった。
突然に奪い去られた人の暮らしの断片に
ただただ目を凝らしていた。

夜、盛岡の市街地に戻って食事をしにいく。
だんだん言葉が戻ってくる。

その新聞社の支社に勤める記者の知り合いを
呼び出して、話を聞いたりもした。

その年の二月に支社に転勤になった青年記者は、
取材中に震災に遭い、一週間避難所で暮らした
話をしてくれた。

東京に妻子を残している単身赴任の記者は、
妻からのメールを見せてくれた。

毎回、深酒になった。

ある夜、深夜まで飲み、帰ろうとホテルに
向かって歩いていたら、賑わっている一角
がある。

飲み屋街なのだが、そのなかにじゃじゃ麺屋
が何軒かある。

食べましょう、と私が誘い、深夜なのに
賑わっている一軒に記者と入った。

若いカップルと相席になった。

酒が入っていたせいで、私は図々しく
そのカップルに、じゃじゃ麺の食べかた
を訊き、愛想よく教えてくれた彼らに
さらに図々しく質問をはじめた。

女性は岩手、男性は福島在住で、
来月結婚するのだという。

いっしょに暮らす予定でいたけれど、
今回の震災で、少しのあいだそれが
むずかしくなり、とうぶん遠距離結婚

になると二人は話してくれた。

じゃじゃ麺は、麺を食べ終えた皿に
生卵とスープを注いてもらい、塩胡椒で
みずから味付けして、飲む。

チータンタンというそれを教えてくれた
のもこの二人だった。

酒を飲むと記憶があぶなくなる私は、
翌日、筆箱に覚えのないメモを見つけて
首をかしげた。

日にちと、ホテルらしき名前が書いてある。

しばらくしてようやく思い出した。

その日、そのホテルで、昨日のカップルが
挙式をするのだった。

さりげなく聞き出して、メモしておいたのだった。

式当日、あの日チータンタンを教えてもらった
者だと但し書きをして、そのときの礼とともに、

二人に花束付の祝電を送った。

さぞやびっくりしているに違いない、と
ほくそ笑みながら、

二人から出版社宛に封書が届いたのは、
その一週間ほどのちのこと。

新妻は図書館で働いていたことがあり、
私の名前も小説も知っていてくれたそうだ。

だから驚きましたと手紙にあり、続けて、
本当にありがとうございますとあった。

結婚式の写真も同封されていた。

読んでいてあの夜を思い出し、私は泣いた。

ありがとうと言いたかったのは私だったのだ。

壊れて流されたいくつもの暮らしを見て、
自分の無力さを思い知って、ひたすらに
言葉を失って、夜更けまでごまかすように
飲んで、そんなとき、いろいろ問題はあるが、

それでもこれから生活を作り上げていくという
二人に会って、私はなんだか救われたような
気持ちになった。

お礼を言いたいのは私だと、早速返事を書いた。

じゃじゃ麺で相席した若い二人のしあわせそうな
写真を、今も私は持っている。

というエッセイである。

これを書いていて、また涙ぐんでしまった。

震災後の福島、宮城、岩手には何度か
足を運び、現場の凄まじさに言葉を
失った。

その光景を思い出しながら、読んだ時は
涙が止まらなかった。

8年ぶりに思い出し、読み返してみたが、
作家は言葉の使い方、文章の終わり方など、
当たり前だが、うまいな、と感心した。

私は、卓球月刊誌の編集を40年続けて
いた。

巻頭言を20年以上書いていた。
「メッセージ」というタイトルで、
読者の中には、その巻頭言を読むために

購入しているよ、と何度か、言われた
ことがある。

嬉しかった。

けっして、うまい記事ではないが、
エネルギーを込めて書いていた。

懐かしい想い出である。

現在は、メンタルコーチングや
人生の生き方、考え方などの
アドバイスをしながら、卓球
コーチングをしている。

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